記事を書くということを考えてみた

結局、書いてリリースしなくちゃ何も始まらないって。

 通勤時間をインプットの時間と思って、ネットを漁ったり本を読む時間にしたりしてました。

 気がついたら、ほぼ無意識にスマホを取り出してネットニュースを眺めて、決まったサイトをみているだけ。確かにインプットにはなってると思うんだけど、もう、純粋に時間を潰しているだけになってきてる気がして。

理解すること≒咀嚼すること≒まとめること?

 ネットニュースがインプットになってるかどうかは、モノによって違うけど、確実なのは、誰かに記事を紹介している時。

「こんな記事があって、こう思ったよ」なんて話を人にしているときは、確実に自分の中で捉えられているし、人に伝えられるように理解できている、、、と思う。

 じゃぁ、人に話さない内容だった時は理解していないのかというと、どうもそうでもなくて、他のネタの時にふと思い出したりはするみたい。でも、思い出す内容も輪郭がぼやけてて、「あんなこと言ってる話があったなーーー」ってな感じで、検索し直してみたりして。結局見つからなかったりして。

 いずれにしても、インプットだけじゃなくて、人にシェアするっていう行為が、自分の理解や定着を促していることは確実かな、と思った次第。

書く習慣を読んで

 いやぁ、まぁ、ほんとその通りではあるんだけど、とりあえず書け、と。

人の目を気にするな、と。

おっしゃる通り。

なんだけど、とりあえず書け、って言われると、、、、

じゃぁ、なにで書こうかな、、、スマホのフリックは辛いから、キーボード欲しいな。。。BTキーボード買うか。。。画面小さいから、せめて8インチぐらいの端末欲しいな、、、Kindleがセールやってたよね?調べてみるか。。。あ、Fire HDがなんかキーボードカバー付きでOfficeついてるやつが安くなってる。。。でもOfficeいるっけ??あったら使う?どんなシーンで??

と、いつも通りの余計な検索をして、帰り道に早速何か書けば良いのに、しっかり書かずに別のことやってるわけですな。。。。

あぁ、やっぱり書けないのね。

三日坊主どころか、スタートもしてないやん。。。。やっぱり自分は変わらない。。。。と思ったのだけど、散々これまでインプットしてきた中にありましたよ。金言が。

過去と他人は変えられない。変えられるのは未来と自分。

もう、だれが言ったのか、上司だったのか7つの習慣だったのか、どこかの本で読んだのか。 忘れちゃったけど、辛い時に大事にしている言葉。

変えられるのは未来と自分だけ。

だから、ま、戯言だけど、とりあえずそんな風に思ったよ、というのを書いておこうかな、と。

書く習慣

書く習慣

  • 作者:いしかわゆき
  • クロスメディア・パブリッシング(インプレス)
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